中学時代の私は野球少年だった。我ながら打率が高く、盗塁も決める俊足巧打の打者だったと思う。私が出場していた軟式野球の県大会の決勝戦が地元局でテレビ中継されたことがある。私は逆転三塁打を打つのだが、三塁に悠々セーフだったにもかかわらず、目立とうとヘッドスライディングを決めた。ところが、不幸にも私の打席はCMと重なり放送されなかった。その事実を試合後に知り、絶望的に落ち込んだのだった。

中学を卒業すると甲府商業に進学。甲府商業といえば甲子園にも出場した古豪だが、野球部には入部しなかった。理由は坊主頭にするのが嫌だったから。それでもテニス部とラグビー部を掛け持ちして、運動を嗜みながらファッションにのめり込んでいった。

高校時代は仲間たちと新宿や原宿に洋服を買いに行っていた。帰りの急行アルプスのボックス席で戦利品を互いに見せ合う。2時間ほどの中央線ファッションショーは、まさに青春だった。甲府でよく通ったショップは、やはりNEW YORKだろう。当時の店員だった若月さんにはかなりお世話になった。若月さんはL.L. BeanやBROOKS BROTHERSなどのインポートブランドを仕入れていて、たまに私もブルックスのシャツなどをオーダーさせてもらっていた。甲府でも欲しい洋服を手に入れられたのはラッキーだった。

名前を思い出せないが、遊亀通りのヤオフジの近くに寿司屋があった。そこに1学年上の森田さんという他校の先輩がいて、ファッションでは一番憧れていた人だった。商業の先輩と仲が良い森田さんはテニスコートに毎日のように顔を見せていた。当時はパンチパーマにボンタンを履くヤンキーが多かったのに、森田さんはコッパンにクルーカット。その風貌はアンソニー・パーキンスのようで、とにかくかっこよかった。

森田さんのお姉さんとお兄さんも印象に残っている。お姉さんは『mc Sister』を愛読するお洒落な人で、読み終えた号をもらったりしたものだ。お兄さんは強烈な人だった。私は森田さんの家に遊びに行くようになり、夏休みに森田さんの部屋で麻雀に明け暮れていると、東京で一人暮らしをしている大学生のお兄さんが帰省してきた。どんなお洒落な人なのかとワクワクしていると、部屋に入ってきたのはパンチパーマに学ランの男性だった。しかも後輩たちを引き連れている強面の不良。しかし豪快な見た目に反して、森田さんのお兄さんはとても優しい人だった。

商業を卒業後、しばらくして森田さんと自然に顔を合わせなくなった。今もどこで何をしているのかわからないし、最後に耳にしたのは、どこかでラーメン屋をやられているらしいという風の噂だけだ。

私がファッションに魅了される入口は中学1年の時に手にした「MEN’S CLUBアイビー特集号」で、中学2年の時に将来はファッションの仕事に就こうと決めた。東京や雑誌で手に入れた最新の情報だけでなく、甲府の先輩たちの存在も、私の人生に大きく影響を与えている。

PROFILE

清水慶三

Shimizu Keizo

1958年生まれ、甲府市出身。ファッションブランド「ENGINEERED GARMENTS」、「NEEDLES」、「SOUTH2 WEST8」を手がけるネペンテス代表。高校時代、洋服を買うための軍資金は親戚のぶどう園のバイトで調達。果物に囲まれて育ったにもかかわらず、ぶどうと桃をはじめ果物全般が苦手。

nepenthes.co.jp

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