今は両親も亡くなり、兄貴はいるけど甲府には滅多に帰らなくなった。里帰りしたとしても親戚に何かあった時くらい。それでも日帰りだ。最後に甲府の中心街を歩いたのは、どてやきで6,7年前に飲んだ時だろうか。 
 
若松町の実家は菱和園から徒歩5分くらいの距離。子どもの頃にヤオフジができて、みんなそこに買い物に行くようになった。週に1,2回、母の買い物に付いて行った時に菱和園でお茶も買い足し、金精軒できんつばを買ってもらっていたのが懐かしい。自分のなかでの遊亀通りには、お茶の匂いがイメージとして残っている。
 
青沼にあった甲府商業を卒業してからは東京で暮らしているが、私が過ごしてきた春日町商店街周辺は、日曜祭日になると人がわんさか行き交っていた。当時の甲府中心街には、そこら辺に映画館が集中していて、うちの父は電気館とセントラルという映画館の支配人を務めていた。東映系の映画館だった電気館は今では大きな分譲マンションが建設中だけど、洋画を上映していたセントラルは今も同じ場所でシアターセントラルBe館という名前に変わって営業している。他にも東宝系、岡島の並びに松竹系、どてやきのところに日活系の映画館があったりと、甲府の街にたくさんのシアターがあることは映画が娯楽であることを物語っていた。
 
子どもの頃、父が映画館に連れて行ってくれると、私も顔パスで入ることができた。母が兄貴のPTAなどで家にいない時、私は決まってその帰りを映画館でお菓子をもらいながら待っていた。イセゲキというローカルな映画館で、母と『愛と死を見つめて』を観たのを憶えている。母は私か兄貴を口実にしないと家を出られなかったから、映画は家事の貴重な息抜きの時間でもあったのだろう。
 
電気館は上映作品がほぼ決まっていたけど、セントラルは東京で買い付けたものを上映していた。父は年2回東京に行っては、伊勢丹でスーツをイージーオーダーして、小学生の私は当時全盛期だったVANの洋服を兄貴と一緒に買ってもらえるのが嬉しかった。
 
これが観たいと父に頼んでは、スクリーンに映る役者のファッションに刺激を受けた。なかでも『若大将』シリーズはかなり観たと思う。主役の加山雄三は役としてもちろんかっこよかったけど、ファッション的には青大将役の田中邦衛に釘付けだった。金持ちのボンボン役で贅沢なものを独特な感じに着ていて、どこかみゆき族っぽい。タータンチェックのブラックウォッチのジャケット、ブルーのボタンダウンシャツ、丈を短めにしたベージュの細みのコッパンは、アイビールックを着崩したものだった。
 
『ロードショー』と『スクリーン』という映画雑誌の存在も大きかった。撮影の合間のプライベート写真が載っていて、『メンズクラブ』と比較しては貪るように読んだものだ。
私にとって甲府の街で映画を観ることは、娯楽以上にファッションの研究対象だった。今、甲府の街の娯楽とは何なのだろうか。

PROFILE

清水慶三

Shimizu Keizo

1958年生まれ、甲府市出身。ファッションブランド「ENGINEERED GARMENTS」、「NEEDLES」、「SOUTH2 WEST8」を手がけるネペンテス代表。幼少期のご馳走は父が支配人を務めていた甲府電気館の目の前にあった洋食屋・キリン館のハンバーグ。誕生日は今も営業している早川ベーカリーのケーキが楽しみだった。

nepenthes.co.jp

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